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僕がSpeeeにもたらしたもの、Speeeが僕にもたらしたもの

松山高和

松山 高和

京都大学卒。2007年にアクセンチュア株式会社に入社し、官公庁・通信系企業・医療機関などの戦略・ITコンサルティング業に従事。2010年、現Speee代表取締役である大塚とともに株式会社RiTAKEを設立し、取締役就任。転職・求人系Webサービスを複数立ち上げた後、2011年に売却。その後創業期であるSpeeeへ参画。Webサービス・スマートフォンアプリの事業立ち上げ・企画・開発から、全社戦略・マーケティング・人材採用まで担った。複数のグループ会社の代表取締役にも就任。現在は、ベンチャー企業の経営コンサルタントとして、経営や事業開発のアドバイザーを務め、複数の企業の顧問やエンジェル投資も務める。

「ITを広める仕事がしたい」という思いからコンサルティング業界へ

実はもともと「コンサル」というものに興味があったわけではないんです。ただ、インターネットが大好きで、中学生の頃から夢中でパソコンに触れたり、大学生時代にはブログを書いたりWebサイトを作ったりしていて、いつか「インターネットビジネス」に関係する仕事に携わりたいと考えていました。
当時は「絶対起業する!」とまで決意していたわけではないです。京都の大学に通っていたこともあり、学生ベンチャーもあまり目にすることもなく、いわゆる"普通の環境"で過ごしていた学生生活でした。

一方、僕が就活をしていた当時はmixiやブログなどが流行りはじめ、サイバーエージェントの藤田晋さんなど若い経営者が大活躍されているのを見て、起業に憧れのようなものもありました。
とりあえず藤田さんに会ってみたいという理由で、サイバーエージェントの選考を受けたりもしたのですが、当時は新卒採用をきちんと行っているITベンチャーは少なく、ほとんど広告の営業職だったので、自分がそこで働くイメージがあまり持てませんでした。

そこで、たまたま「ITに強いコンサルティング会社がある」ということを耳にしてアクセンチュアを知ることに。当時売り手市場だったので、良くも悪くも大手企業は学生にすり寄ってくれる感じだったのですが、アクセンチュアは全く学生に媚びないというか、じっと頭の回転の速さを見極められるような独特の雰囲気があって、それが自分に合うなと感じたんです。将来自分がやりたいことを実現するためにも、まずはITに関するビジネスの基礎を身につけようと、アクセンチュアへの入社を決めました。

アクセンチュアは様々な業界の顧客がいるわけですが、当時、いわゆる"花形"業界とそうではない業界と言われるものがあったんですよね。入社時に人事に担当したい業界の希望を申請するのですが、同期と競り合いたくないという理由から、あえて「官公庁」という、社内ではちょっとニッチな業界を選択し、配属されました。
正直言うと、コンサルティング会社ってとにかくガツガツしてるイメージで、みんな評価を奪い合いにくると思ってたので、あまり競いたくなかったんです(笑)。

業務知識や市場知識を大量にインプットをしたり、例えば某省庁に年金制度やIT戦略の提案をするなど、国や行政の裏側を知れるのは非常に面白みを感じましたね。
医療業界や通信系の民間企業のコンサルティング業務にも携わり、当時最先端だったSaaSの導入提案なども行なうようになりました。とはいえ、こういう業界はITの浸透度が非常に低い業界でもあります。ITに関するビジネス知識を深めたい、もっとインターネットに触れたいと思っていた自分にとっては少し物足りなさも感じていました。

事業立ち上げパートナーとしての大塚との出会い

そんなとき、ふとしたきっかけで、自身でWebサービスを立ち上げることになりました。
知人から「会ってほしい人がいる。その人は起業しようとしていて、経営パートナーを探している」と紹介されて出会ったのが、現Speee代表取締役の大塚さんでした。

会ってすぐ「この人すごい経営者タイプだな」と直感したのを覚えています。そういえば、コンサルティングの仕事をしていても、経営者に触れることってあまりないですし、自分よりも若いのに経営のことをこんなに考えてる人がいるんだと、ある意味衝撃を受けましたね。「インターネットビジネスをやりたい」という目標が合致したのと、自分とは異なる領域での優位性・特技を持っている人だとも感じ、ともに創業することになりました。

毎週末喫茶店に集まり、ひたすら事業アイデアを出し合う中で、いくつか事業案も生まれていきました。例えば、クレジットカード比較サイトの収益性に着目。サイトを立ち上げるにあたり、3人目のメンバーとしてエンジニアを探していたのですが、なかなか良いメンバーに巡り会えない状況が続きました。そんな折、大塚さんの「松山さん、作れるんじゃないですか?」という一言で、僕が一からサイトを作ったりもしましたね。いまいちな品質でしたが(笑)。

それから求人系のサービスを立ち上げることになり、ようやくエンジニアメンバーもジョイン。僕は主にSEOを中心とした集客やマーケティングをメインにし、空いた時間でコードを書いたりもしていました。SEOなんて全く知らなかったのですが、本やネットで必死に調べ、毎日Google Analyticsと向き合っていたら、気づいたらSEOオタクになってましたね。

2年ほどかけてサービスをグロースさせた後、一定のラインまできたところで売却しました。大塚さんはSpeeeに戻ることになり、Speee創業者である久田さんから「松山さんも来ませんか」という話をもらい、Speeeにジョインすることになりました。

松山高和

数々の事業・組織を0→1でつくりあげていったSpeee時代

Speeeには、久田さんとともに、新規事業であるスマートフォンアプリ事業の立ち上げメンバーとして加わりました。メインとしていたのはゲームで、当時日本ではガラケーのソーシャルゲームが全盛だったのですが、一方海外ではネイティブアプリのゲームが流行ってきていて、日本にもこの流れが来るだろうと先読みして、いち早くネイティブアプリのゲームを作っていました。

当時はスマートフォンの黎明期で、これから世の中に浸透していくまさにそのとき。アプリを作っている企業は少なく、海外のアプリを一つ一つ分解しながら、どう作っているのか調査をしていくことから始めていったんです。事業を拡大していく中で、人も増え、ゲームだけでなく非ゲームのアプリにも参入し、新たにスマートフォンアプリ事業部の事業部長に就任しました。

まず大変だったのは、ヒットするサービスをゼロから考えること。コンサルタント時代にも顧客を喜ばせることはもちろん意識していましたが、BtoCになると勝手が違います。顧客の顔も見えないし、自分と全く異なる顧客像に対して楽しいと思ってもらえるものを作らなきゃいけないわけですから。「マーケティングする」という感覚も初めて学んだと思います。これまでは僕の中では「マーケティング=Webマーケティング」だったのですが、それはあくまで一部分で、もっと広い意味でのマーケティングですね。あと、クリエイティブへの理解を深めるために、色彩について勉強したり、世の中の美しいものをたくさん見たり、デザインとは何かを学んだり。そういえば、Appleのジョナサン・アイブの本には大きな影響を受けました。

結果的に、アプリやメディアなど、BtoCのサービスを30個ぐらいは作ったと思います。数をこなすと、クオリティがどんどん上がっていきました。最初に作ったアプリは、今は見たくないような品質のものですね(笑)。

そうやってサービス作りをリードしながら、エンジニアやデザイナーを採用をしたり人事制度をつくったりと、「ものづくり組織」づくりにも注力していました。その頃のSpeeeには「ものづくり」の文化や風土はまだなく、まさに事業も組織もゼロからつくっていく作業。既存のアセットを使うことはほぼありませんでした。
個人的にも、ゼロから組織を作るという経験がなかったので、自身のキャリアにおいて大変重要な経験になりました。ここまで大きい規模の組織でリーダーシップをとるというのは、実は元々得意という意識もなく、どちらかというと個人プレイヤーとしてマニアックなことをするほうが好きなタイプでした。でも必要に迫られてやらないといけない。

特に、メンバーに対して進む先を照らしながら、全員で前に進んでいくというのは、今思うとめちゃくちゃ学びになっていますが、めちゃくちゃ大変でしたね。
BtoCサービスならではの失敗や遠回り、撤退もしましたし、市場としても同時多発的かつグローバルに業界が成長していく中で、そのスピードについていくのも本当に大変だったので、リーダーとしてどういう道筋を提示しながらチームを引っ張っていくか、というのは苦悩しました。

自分がやっている仕事って、ヒットする企画を考える「プロデューサー」でもあり、組織をマネジメントする「リーダー」でもあったわけなので、それをどう使い分けるか。世の中のプロデューサーはどのように仕事をしているのか、ヒアリングしたり本を読んだりして参考にもしました。

あと、BtoCのサービスって反響や反応がわかりやすいんですよね。自分に直接反響が届くことがなくとも、自分がつくったサービスが名刺代わりになって、いつのまにか世の中の人に知られていることもあります。つくったアプリがApp Storeで1位になったときは、本当に嬉しかったですし、サービスをヒットさせること=自分の評価となることを身に沁みて感じ、サービスをリリースするときのクオリティチェックには、一言一句、隅々まで鬼のように拘っていました。あまり自分で手を動かしすぎちゃうとスケールしないと気づいて、最後のほうは介入度を減らしましたが(笑)。


Speeeで培った、血の通ったBizDev経験が大きな市場価値に

Speeeが社員数も事業規模も大きくなり、企業としてのフェーズが変わり始める中、自身の役割は終えたという区切りをつけて、2017年末にSpeeeを退職。これまで転職活動というものをしたことがなかったので、これからどうしようかと考えながら、友人の会社を手伝ったり、ビジネスの相談に乗ったりしていました。

そんな中で、自分のこれまでの経験が、非常に重宝されるということに気づいたんです。Speee時代、とにかくたくさんのことをやりすぎて、自分の中ではもはや"当たり前化"していて。アクセンチュアにいたときは、そこまでビジネス経験のない自分が、「顧客に対してビジネス提案」するという構図に、正直違和感を持っていたところもあったのですが、実際に自分が学び、蓄積してきた知見や経験値は血肉となり、他人へ提供でき得るものになっていました。

今でこそ自分は希少種にあたると感じていますが、Speeeにいたときはつゆにも思っていなかったんですよね。そもそもサービスを作っていると、ヒットすることのほうが少ないので、生み出す側はどんどん自尊心が低くなっていくんです(笑)。

振り返ってみると、Speeeではやりたいと言ったらまずはその意見を聞き、適切に議論の俎上に載せてくれましたし、数字にならなかったとしても資産やプロセスをつくっていくことこそに意味があるということに、経営陣が理解を示してくれる環境がありました。
また、Speeeには多様なバックグラウンドを持ちながら、自分ごととして事業や会社について議論できるメンバーや機会が非常に多かったのも、自分の市場価値を高めてくれる大きな要因の一つだったと感じています。

松山高和

好奇心を味方に、業界や形式に囚われず、自らの価値を高めていきたい

現在は、経営コンサルタント・経営顧問として、Speeeを含むWeb・IT関連のスタートアップやベンチャー、中小企業の経営や事業戦略に携わっています。また、エンジェル投資家としても複数企業に投資しています。一例としては、ECサイトをチャット化するお手伝いをしたり、飲食店でお客さんが店員へチップをあげられるアプリを作ったりと、「テクノロジーを社会実装する」アイデアを形にするために、必要なノウハウを提供し、ときにはガッツリ並走しながら進めていっています。

僕は、自分が一人でやれることや考えられることには限界があり、適切に議論できる相手がいることが自分自身の成長において極めて重要だと考えています。議論相手を探すためのコミュニティとして、会社というのは最たるものですし、今はSNSや社外のコミュニティに積極的に参加するというワークスタイルも定着してきました。

会社選びに迷っている方に1つアドバイスするとすると、社員数や売上規模のようなわかりやすい数字や、働く環境だけでなく、「良質なコミュニティかどうか」で選ぶというのは非常に大切だと思います。自分が直接携わる仕事から学ぶものももちろん大事なのですが、周囲でどんな会話がなされていて、どんな言葉が飛び交っているか。自然に耳に入ってくる言葉や空気感が自分のビジネスリテラシーを高め、成長の糧になるのです。

Speeeは僕にとって、初めて良質なコミュニティに属したキャリアでした。社内で新しいビジネスの情報交換をしたり、最近読んだ本の話をしたり、ふと見たコンテンツについて考察をぶつけあったり。僕は好奇心旺盛で、それが自分のガソリンになってる反面、ちょっと飽き性なところもあるんですよね。それでも続けられたのは、Speeeが好奇心を満たしてくれるコミュニティだったからだと思います。

これからは、インターネットの世界を飛び越えて、様々な業界やジャンルに携わり、自分の価値をより高め、社会の発展に貢献していきたいと思っています。


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